昨日(1/17)付、河合隼雄氏が任期満了で文化庁長官を退職したという記事があった。昨年脳梗塞で倒れたと報じられたが、文化庁の高松塚壁画問題で心労が祟ったんじゃないか、とか考えてしまうんだけど。一日も早い回復をお祈りします。
さて本。1,2ヶ月ほど前に読み終え書くのも忘れていたけど、この機会に。(今、枕元には中途になっている「働きざかりの・・・」がある。)
読みすすめていくと普通のことが普通に書かれている。そしてあとがきまで読むと「この本には「常識」が書かれている」のような一文に出会うだろう。
ここに来て著者の凄さを改めて思い知るのである。常識を常識として書き続けて、読者の中には「こんなの当たり前のこと」と言われそうなところのものを、「そうでんねん、常識書いてるだけやさかいに」と誇ることもなしに言い放って終わっている、そんな凄さ。
「うそは常備薬、真実は劇薬。」
「ふたつよいことさてないものよ」
「自立は依存によって裏づけられている」
などなど50数編のエッセイ。
各章のタイトル、内容はそれが何かの公式のようにも思えてくるけど、内容そのものが読み手の心理的反射を前提にするからこそ、常識というすごく間口の広い人それぞれの真理を示しているような感じがする。
しかも、示してみたけどそれをも全て正しいとは考えていない。職業上の問題でなく、一個の人として「悩み」の部分をどう考えていくかを実践してきた人なんだろう。そこここにそんな雰囲気を感じる。そしてそれらを関西人らしく一瞬で笑いに変えて流してしまうこともできてしまう。
すすめられて読む本でもないし
急いで読まなくてもいいし
かしこまって読むこともないし
全部を読む必要もない
読み進めながら、一つ自分自身に何か問題があるとすれば、
「河合隼雄がそう言うなら・・・」
と思ってしまうこと、そして割と素直に聞けてしまう。
同じことを同年輩の人間がさも分かった風に宣っていたら、殴り倒さんばかりになりそうだ。身をもって示す、とまで行かなくても、やっぱり言葉で雰囲気を醸し出す人のものでなければ、こちらにも響いてこないというものだ。
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