NHK大河ドラマ「秀吉」が放映されていた頃、原作であるこの作品がたまたま実家にあったのでハードカバーで読んだ。ドラマでの配役は、豊臣秀吉(竹中直人)、豊臣秀長(高島政伸)、おね(沢口靖子)、織田信長(渡哲也)など。あれからもう10年。本屋で目に入りなんとなく買ってしまった(今回は文庫本で)。
豊臣秀長(ドラマの中では特に小一郎の名が一番印象に残るんだけど)という人物がどういう人物であったか。補佐役であり続ける「この人」が綴られている。 秀吉という偉大な存在に寄り添う「影」であるような「この人」は、秀吉がいなければ存在できなかっただろうし、影のない本体も仮定し得なかっただろう。
本作そして小一郎秀長が非常に魅力的に思えるのは、「この人」が果たした偉業を殊更強調するわけでもなく、兄秀吉の成果にしてしまっているところ。現代社会で実際に補佐役に求められる能力がどんなものであるか分からないけれど、「この人」が発揮した調整力や管理能力は当然必要なんだろう。そしてそれらを養う想像力や観察眼、洞察力なんかも。
仲のいい兄弟、血族関係、恩義といった割と自然に思える感覚を平然と打ち破ってくれる記述が何度かある。江戸時代より前の時代では、兄弟、家族であっても裏切りのようなものは日常茶飯事とまでいかなくても、感覚として全く不自然ではないとか。山崎の戦いに際して信長への忠義を掲げるのは、当時ではあまり時代にそぐわない、といった記述を数回目にすることになるだろう。
だからと言って「すぐ人を裏切れ」ということではないのだけれど、「裏切らなくて当たり前」のように数多ある固定観念に囚われすぎるすぎるなよ、と言われている気がしないでもない。そしてまた少し自由になれる。
そしてそんな時代背景にありつつも、なお補佐役であり続けた「この人」にまた一層惹かれてしまう。
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